私からの説明は以上だ。……理解して貰えたかな。
 ……はは。参ったね。全く訳が分からないとその顔に書いてある。出来るだけ誠意を尽くして説明したつもりだったんだが。
 …皆、最初は君と全く同じ顔をするんだよ。
 無表情で、だけど何かに憤っているような悲しんでいるような、寂しそうな、そんな顔だ。
 ……何? …どうでも良い? ――ああ、そのことも思い切り顔に書いてあるよ。……だけど、残念ながらこれは決まりなんだ。人が生まれては死ぬのと同じように、絶対的な、ね。
 君の生きていた頃の記憶や記録、そして君の心から、君に預ける魂の数はこちらで決めさせて貰ったよ。…そう…君の場合は……。






+・◆・+






 もうこれで何もかもから逃げられると思っていた。世界からも、自分からも――辛いと感じることも、死にたいと感じることさえも、何もかも無くなると、思っていたのに。
 俺は確かに死んだのにも関わらず、『俺』は、死ぬことを許されなかった。意識が飛んで、次に気が付いた時には、背に蝙蝠(こうもり)の翼が居座っていた。
 人は死んだって何も救われないのか、と乾ききった瞳でその人の声を聞き流していた俺に、その人は最後に一言だけ告げた。


 これは悲しい殺人を犯した君達への罰であり、そして、『私達』が君達に捧ぐ、最後の祈りと謝罪なのだよ。



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「おはよう、しーがっ」

 あいつの発言はきっと全部寝ぼけてしたことだったんだ、と無理やり納得していた俺はその日の内に叩き壊された。

 あの後、結局、先に帰ってきたのは母親で、誤解に気づくや、夕奈にひたすら謝罪を繰り返していた。……までは良かった。
 口止めをしていなかった俺が悪かったんだろう。あと、ああいう子供がどういう言動を取るかなんて考えていなかったのも悪かった。…とにかく。
夕奈の、『おかーさんとおとーさんがいなくてね、ゆうながないてたらね、まどのとこにきてくれたんだよ! え? えっとねえ、背中に羽があって、こういうのもった、まっくろなおにいちゃん! こわかったけどね、おしゃべりしたんだよ! ゆうなこわくなかったよ! でもねえ、おきたらいなくなっちゃってたの。おかーさん、しらない?』……という、洪水のようなマシンガントークが屋根の下から聞こえてきた時は、本当にこっちが頭を抱えた。
 案の定、夕奈の母親はその拙い台詞からでも簡単に推測出来る存在に思い至って、青ざめていた。…と、思う。聞こえていた声が途切れたから。
 でもそこは大人だからこそ、だろう。夢を見たのよ、独りにしてごめんね、怖かったのね、とすぐに声が続いて、夕奈の反論もやんわりと丸め込んでいた。
 …多分、その方が良い。死の運命なんて知らない方が、人間は幸せだ。だからこそ、俺達だって本来人間には見えない存在なのだから。…そう、見えない存在のはず、なのだ。その方がお互い楽なのに、
「なんで俺がこんな面倒な担当になるんだよ……」
 まだ諦めていないらしい夕奈の、『みたもん! ほんとにおはなししたんだもん!』という甲高い声に疲労を覚えながら、俺は右手のファイルに目をやりまた溜息を吐く。
 綾瀬夕奈、現想定死亡率、十一パーセント。
 ……一番最初に、八割方の死亡率をこのファイルに示させていた少女は何処へ行ったんだ。
 一度担当する人間の元へ行ったが最後、俺達はその人間の魂を引き取るまで冥界に帰ることは許されない。それどころか、その人間の側を離れることも許されない。今いるこの屋根の上だって、正直範囲ギリギリなのだ。
「………はぁ…」
 溜息を風に飛ばすと、俺は部屋に夕奈しかいないことを確認してから、数時間前と同じようにベランダに降り立った。このまま延々と屋根の上に逃げてはいられないことなんて分かりきっていたことだ。
 俺を見ると同時に、不満げだった表情をあっと言う間に笑顔に変えて挨拶してきたそいつを見ながら、俺は改めて釘を刺した。
 俺を見たことも俺と話したことも絶対に誰にも言うんじゃない、と。
 瞬く間に不満げな顔に戻った夕奈に『なんで!?』を十数回付き付けられ、結局、童話のような苦し紛れな言い訳をした上で、俺は死神として改めて夕奈の傍につくことになった。
 誰かに話してしまうと同時に、俺は消えてしまうから、と。
 子供じゃない限り通じない幼稚な脅迫。それを簡単に鵜呑みにした夕奈は、真面目な顔で『わかった』を繰り返していた。
 ……もし俺だったら、次の瞬間にでも誰かに事を話して、俺を消しているだろうに。





+・◆・+



四月十一日 AM8:02

 田舎の朝は、都会のそれと比べ物にはならなくても、それなりに騒がしい。
 通学路を歩く小学生だとか、犬を連れた飼い主だとか、そういう人の気配がちゃんと目にも見える。逆に昼の方が静かな世界だ。……とは言っても、それは所詮田舎の話。騒がしいとは言え、都会に比べればよっぽど静かで、一人でいる分には随分楽な――
「やだあ――っ! ゆうな、きのうも、きのうのきのうもやすんだもん! みっちゃんとあそぶってやくそくしたの! きょうはほいくえんいく!」
「だから、まだ微熱があるから保育園には行けないの! お友達に移しちゃうのは夕奈も嫌でしょう?」
「それもやだけど、おうちいるのもやなのーっ!」
 ――はずなのだ、本来なら。
 その後も、俺の座る屋根の下からぎゃんぎゃんと続く二人の声が、静寂というものをぶっ壊していく。
「……今日も始まったか……」
 意識しないでも、勝手に溜息が出た。
 もう、俺がこっちに来てから二週間近くが立った。いい加減にこういう声にも慣れてくる。
「……………」
 ふう、と今度は意識して、胸の中の重い息を吐き出す。
 二週間。
 こんなに長く、地上にいるのは久しぶりだった。俺が死神になってからもう大分経っているはずだが、少なくとも今まで担当してきた人間は、俺がそいつの側についてから、せいぜい数日以内には事故なり病気なり寿命なりで魂を手放していた。
 そもそも俺達は、その人間の死が『近い未来』に確定した時にそいつの元へ派遣されるのだから、それがそもそも普通なのだ。二週間なんて近い未来とは俺達は呼ばない。
 ……二週間、一応担当者として夕奈のことは見ていたが――少なくとも、俺には今すぐ死ぬようにはとても見えない。確かに病弱ではあるようだが、それにしても可笑しい。絶対冥府が間違えたか何かだ。
 俺達のミスにはかなりのペナルティーを科す癖に、自分達だって思いきりミスしてるじゃないか。……、何だか腹が立ってきた。
「今日こそは出てもらうぞ……」
 念の為、ファイルの示す死亡率が低いままなのを確認してから、俺はファイルの一番後ろのページを開いた。中央部分に、紙の横幅を最大限に使って小さな魔法陣が描かれている。上下の余白にも、紋章が丁寧に記されたそのページは、冥界との連絡紙だ。明らかに他のページと材質も違う。
 ファイルを屋根に置いて、魔法陣に左手を押し付ける。反応があるのを確かめて、俺は右手の中にあの蒼い鎌を呼び出した。手の平でくるりと回して、鎌の先端を刺さらない程度に左手の甲に宛がう。しばらくの間をおいて、朝の光に紛れてしまう程の、微かな青い光が魔法陣から零れ始めた。……ここまでは良いのだ。ここまでの過程なら、ここ数日何度も繰り返してきた。
 神経を集中させて、魔法陣を睨む。
 たっぷり一分程粘っただろうか、ようやく、ようやく魔法陣が震えた。ブン、と小さな本ほどの大きさの風景ホログラムが、空中に浮かび上がる。
『あー、何? え? 今度は地上からの連絡? めんどいからお前そのまま応対してくれ。オレ今忙しい』
『なっ…またですか!? 昨日もそう言って私に全て応対させたでしょう! 本来の、活動中の死神からの連絡に応対するのは貴方の役割のはずですよ、エターナ!』
 その魔法陣から見える景色がそのままこちらにも転送されるのか、机と書類に埋もれ気味な人影が一つ、見えた。とは言え、声から判断するに、この通信の繋がっている先にはもう一人別の誰かがいるらしい。
 まだ続いている夕奈たちの声だけで十分耳に痛いのに、こっちの方でも言い合いか。……何かまた体が重くなったような気がする。
『だって絶対面倒な内容だろ、そういうの。オレよりお前のが確実だし』
『………っ、貴方に、兄としての自尊心は無いのですか…っ』
『ない。許せ』
『〜〜〜〜……っ』
 俺のそれを上回る程の、かなりの大きさの溜息が聞こえた後、ホログラムの中にもう一つ人影が入ってきた。俺と目線を合わせて、騒がしくてすいません、と侘びを入れる。背中に佇む、白い鳥の翼が揺れた。
『……連絡応対係、エターナの代理です。ご用件は?』
「どうしてもそっちのミスとしか思えない奴が一人いる。確認して欲しい」
『……その方のお名前は?』
 微かに怪訝な表情をした天使の後ろで、書類の山の狭間から見える顔が一気に冷や汗をかきだしたのが見えた。…心当たりでもあったんだろうか。
 とりあえず、ミスだったとしたら俺の派遣命令をさっさと取り消してくれないと俺が困るのだ。……これ以上子供の遊び相手になんてなっていられない。
「綾瀬夕奈。日本在住の四歳だ。俺は三月の二十八からこっちに派遣されてる」
『分かりました。しばらくお待ちを』
 ふっ、とホログラムから聞こえていた音が途切れる。映っているだけの景色の中では、俺と話していた方が書類に埋もれている方に何やら早口で説教をしていた。……天使の世界もそれなりに大変らしい。
 やがて、幾つかのクリアファイルを手にした天使が俺の前へと戻ってくる。
『…同姓同名の方が何人か。この中にいらっしゃいますか?』
 何人かの顔写真の中から俺が『綾瀬夕奈』を指差すと、他のファイルは粒子になって消える。頷いて、天使がぱらぱらとクリアファイルの中の紙を捲り始め――眉をひそめた。
『……すいません、少し…いえ、もしかしたら長く…お待ち頂けますか。少々やっかいな…』
 言葉も途中に身を翻して、そいつはぱたぱたと机の元へ駆けていく。そのまま何か話し込み始めてしまったので、俺はふっと目線をホログラムから逸らした。
 さっきまで続いていた夕奈たちの声は、いつの間にか聞こえなくなっていた。



+・◆・+



『あー、さっきは悪かったね、ターナルに代理任せちゃって……ほら、オレ達も何だかんだ言って忙しいんだわこれが』
 机に積みあがった書類を親指で指しながら、さっきまでそれに埋もれていた天使がホログラムの中で笑った。……正直こっちは笑えない。長いとは言っていたが一時間掛かるとは聞いていない。
 向こうとの通信は、鎌を手から外すと切れてしまう。……この体制を一時間続けさせられたこっちの身にもなって欲しかったが、そこは諦めた。
「……確認は取れたのか?」
『ああそうそう、それね、それ。わざわざ上にまで連絡入れたんだからな、有難く思ってくれよ? 結論から先に言わせて貰えば、オレ達は間違ってない』
 ひらひらと手を振りながらソレを言ってのけた天使に、今度は俺が眉を顰めた。どういうことだ、と口を開くよりも先に、ホログラムが意地の悪い笑みを浮かべる。
『二重奏者だよ、あの子。死の運命が複数予定されてるみたいだな、これが。珍しい子の担当になったねえ』
「……二重奏者?」
『本当なら人の死の運命はどうあろうと一つなんだけどね。海と川の関係と同じでさ。うんまあでも、あの子は――偶々、みたいな? 運命がこんがらがっててこっちでも全然予測が付かない。から、あんたに出た派遣命令も間違いじゃない。あんたの上司さんは多分確信犯だね』
 二重奏者。……複数の死の運命?
 明らかに面白がっているようなそんな表情で、天使が笑う。聞いたこともない単語に、混乱してきた思考を纏めようとする俺を無視して、言葉が続いた。
『どうせ質問されると思うから言っておくよ。あの子がいつ死ぬのか、それはもう完璧にオレ達にも分からない。近い未来なのか遠い未来なのか、次の瞬間か十年先かも、どういう経緯で亡くなるのかも。……オレ達はお前達と違うから、その死神の担当する魂が、時間ははっきりとは絞れなくても――どこでどうやって死に至るのかまでなら把握出来る。だけどな、二重奏者以上になっちゃうとこっちもお手上げなんだよ。すんげー複雑に運命同士が絡まっちまうから――って、おーい、ちょっと、聞いてる? 目がさっきから焦点外れてるぜ、お前』
 調子の変わった天使の声で我に返って、俺は慌てて頷いた。聞いたこともない、そもそも俺たちの秩序を壊すような概念に、言葉が耳から耳へ流れてしまっていたらしい。
 …それにしても、一瞬先か、十年先かも分からないだなんて、そんな状態――ただ人間と同じように死を待ちぼうけするのと同じじゃないか。
『まあ、色々思うとこはあるだろうけどそんな訳で…オレ達が言わなくても分かってるだろうけど、一度受けた派遣命令は絶対だからな。あの子が運命の終わりに到着するまで、お前、こっちの世界には帰れないぜ?』
「……ああ、そんなことくらい分かって……ちょっと待て?」
『そう、運が悪ければ何年もあの子の傍につくことになるだろうな。まあ、可能性としては今この次の瞬間にだって、お前の腕時計が喚きだすかもしれねえけど。同じ可能性としては、十年単位で地上に残ることだってあるかもしれないってワケ』
 笑顔で、天使がさらりと紡いだ言葉に、俺は世界がすっと遠のくような感覚に襲われて青ざめた。魔法陣に触れたままの左手が、微かに震える。……十年? こいつの所にいろ、と? 冗談じゃない、俺はさっさと次の魂の所へ行って、そして早く今度こそ俺自身を――
『……エターナ! いつまで喋っているんですか!? 他にも応対待ちの連絡が一週間分溜まってるんですから早くして下さい! 連絡相手との無駄話はやめるよう昨日も言ったでしょう!』
 唐突に響いた大声に、ブツン、と今度は強制的に思考を途絶えさせられた。俺と同時に身を竦めた天使は、うんざりだと言うように舌を出して俺に背中を向けた。
『……ま、面倒なことになっちゃってるみたいだけど適当に頑張ってくれや。また何かあったら連絡入れてくれ、ターナル…弟が勝手に出てくれる』
『私は係じゃないと言っているでしょう!』という怒声を背景にして、天使は手を振って風景から消えた。それを目で追ったもう片方――やたら丁寧だった方――が、溜息をつきながら俺の前に近づいてきた。正確には、きっと向こうにある連絡用の媒体の何かに、だろうが。
『……兄は何か、愚かなことや失礼なことを言っていませんでしたか? 天使としての自覚が足りない者で……主や秩序や倫理に反するようなことまで時々口にするので、私も困っているのです』
 少しの間俺を見つめてから、呆れたように苦笑する。一応首を振っておくと、安堵したように頷いた。
『それでは、……その方とその方の魂を宜しくお願いします』
 礼儀正しい一礼を最後に、空中に描かれていたホログラムが粒子になって掻き消えた。
 同時に、遠くなっていた世界の音が戻ってくる。朝の騒がしさは随分少なくなって、自然の音と時折通る車の音以外は何もない世界。あいつも、今はおそらく部屋で眠っているのだろう。
 しばらく考えてから、ベランダへ降りてみた。
 開けっ放しの窓のせいで、カーテンがふわふわと揺れている。部屋の中が、時折視界に映った。
 小さな人影は、予想通り布団に包まってそこにいた。起きている時の喧しさなど欠片も見せない寝顔で、何の憂いも感じさせずに眠っている。ただ普通の子供と違うのは、その顔色の白さと青さで、……それでも、本人も周りも、死が近くにいるなんてきっと考えてないんだろう。…いや、本人は、まだ死そのものが良く分かっていない。
「……十年…」
 先ほどの会話が口から零れる。いくらなんでもそこまで地上にいさせられるのは勘弁して欲しかった。流石に十年は大げさだろうとは思うが、…それでも、この調子なら、軽く数ヶ月はこっちにいることになりそうな気がした。二週間だけでも、もうかなり疲労が溜まってしまった気がするのに、……一体いつまで。
「いつまで…」
 いつに、なったら、
「いつになったら俺は死ねるんだろうな……」
 すっかり顔に馴染んでしまった自嘲を浮かべて、溜息を吐く。不謹慎だとかそういう道徳は、俺はもう人間じゃないから考えないことにした。







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08年 文芸部誌「游」 迎春の号掲載


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