むかし、むかし、ではなくて
どこともしれないばしょのおはなし


むかし、むかしかは分かりません
だけどとある所に、ね
小さな子犬が一人いたの

その子犬は、とても小さくて
ちっとも速くも走れなくて、ぶきっちょで、けんかではいつも負けてばかり
だけどね、そう、その子犬はね、
(足の速さとかはともかくとしても)自分が弱いなんて、ちっとも思ってなかったんですって

だから彼はね、小さくてのろまで不器用でひ弱でも、いつも幸せそうだったの
時々からかわれて泣いてたりもしたけどね、普通に、幸せそうだったの
普通に可愛い夢を持って、それをのんびりと追いかけて。
いつか消えちゃう夢もあること、何もしらずにスキップしてた。


だけどある日子犬はね、とある誰かに逢いました。


その人は、その小ちゃな子犬の目線から見たら本当にとても大きくて、
今まで逢ったどのひとよりも立派に見えたの。
その人はとても優しくて、子犬はあっという間にそのひとに懐いたわ。

それまでなら、良かったんだけど、ね。


ある日突然気紛れに、子犬は気付いてしまったの。
その人が、どんなに遠い遠い所にいるかってこと。
優しく名前を呼ぶ声はちゃんと届く距離だったけど、だけど、とても遠い場所。
その人の傷も涙も、子犬には見えないくらい、本当に遠い先をその人は歩いていたの。
そしてその人は、歩いていたの。
さすがにその人が本当に目指している場所までは、子犬には見えなかったけれど、
その人は先を歩いていたの。
子犬の前を、子犬の前にある道を、子犬の持ってる夢への道を。

それに気付いたとたん、子犬は、まるで何かに突き動かされるかのように。
まるで何かに怯えるように、振り返らずに駆け出した



小さくて短い足で、まるでころころ鞠のように
でもね、本人は必死のつもりでも、子犬はちょっぴり弱すぎた。



走っても 走っても 何かを捨ててまで走っても
その人の歩幅は広すぎて
小さな子犬の手足には、とても追いつけなかったの

足を擦りむいても 手を挫いても
子犬は、走るのをやめなかったの
その人に追いつきたくて追いつきたくて、その思いだけを力に変えてた。
だけどその距離は広すぎて、さすがの優しいその人にも、子犬の傷跡は見えなかったの。


それでも走り続けていると、子犬は少しだけ背が伸びた。
嬉しくなって、でもすぐに、その顔は悲しく歪んだの。
背が伸びて視界が広がって、その人との距離がますます解ってしまったんだもの。
そして賢くなった分、自分がどれだけ弱いのか、子犬は知ってしまったんだもの。


それでも子犬は走ります


その距離が縮んでいるのかどうかさえも、もう分からなくなっていたけれど。
ただただその人に追いつきたくて、子犬は走り続けていたの。

優しいきおく。思い出のきおく。
子犬がどれだけその人に懐いていたのかということを、私はさすがに知らないけれど。


お願い、すてないで、

「置いていかないで。」



――ねえ、ワンちゃん、置いていかれるはずなんて無いのよ?



子犬は走り続けてた もう足はボロボロで、ほとんど引き摺るような速度で。
だけど優しいその人に、心配だけはかけたくなくて
傷跡は心に隠して、素敵な笑顔で、子犬はスキップしていたよ。
優しいその人に追いつきたくて、子犬はただただ走ったの。
何も考えないくらい、それはもうね、がむしゃらに。

そんなことしたらどうなるか、そんなの簡単に分かるよね?


今のその子はボロボロで それでも走り続けてる。
自分の本当に欲しかった夢も、自分自身も、なにもかも、忘れてしまっても走ってる。
ただただ、思い出の中のただひとり、

「おいで、」

その人と一緒の世界が見たくて。



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