壁の向こうに猫はいた。
たすけてと鳴いているように聴こえた。
柔らかな鳴き声に恋をした私は、
猫になにも届けられないまま、ひたすら壁を削り続けていた。

猫が寒がれば一生懸命に励まし、
空腹を訴えれば暖かいミルクのはなしをした。
スプーンで削り出した壁の残骸を眺めては、
いつかは辿り着けるはずなのだと、唇を噛んだ。

きっと貴方を助けてあげる、私は決してそう口には出さなかった。
誇り高き猫の心を踏みにじるのは嫌だったし、
なによりも私が、ある日颯爽と猫の前に現れて、
驚く猫を、こんな寒い場所から救い出す、そんな物語に酔いしれていたのだ。

数年も削り続けただろうか。
小さな穴が壁に空いた。
私は息を止めながら、そっと穴に片目を当てた。

そこに猫はいた。
愛しい声もそのままに、私の想像よりもずっと美しい猫がいた。
飼い主に抱かれた猫がいた。
猫はこちらを向いて、やっと会えたねと笑った。




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