迫り来る終末の歌 再びの崩壊が彼らへ歩み寄る
犠牲と悲しみの先に続くのは …極夜、それとも白夜
嗚呼…神の歯車が廻る時が 再び蒼穹に廻って来る……

――――――― ◆ ―――――――

「ここから上昇すればもう充分ね……」
 渦巻く雲の上に浮かび、クライツとレイラは前方に聳え立つ雲の峰を見上げていた。…否、どちらかと言うと睨みつけていた。
「もうこうなったら一秒でも早く依頼を終えて帰らないと…」
「ええ、…でも…舞巫女様の居場所は……すみません、私に探索魔法さえ使えたら…」
 杖を手にうなだれるレイラに、クライツが慌てて手を振って否定する。
「レイラが気にする事じゃないって! そもそもこの雲の峰は禁じられた場所なんだし、多分王宮に許可されたのも突入するのも私達が初めてよ。分からないのもデータが無いのも当たり前……さて…とにかく何か手段だけでも考えないと…」
 時折通り過ぎる突風に機体を煽られながら、クライツは雲を見上げた。本当に巨大過ぎて、ここからでは唯の雲の壁にしか見えない。所々が虹を帯びて神秘的に光る。ここから先は神の領域だと告げる様に。
「虹……」
 ぽつり、と一言。イヤホンから聞こえたレイラの声に、クライツの視線が雲から外れた。隣に浮かぶレイラを見ると、峰の一部分を眉を寄せて見つめながら何かを考え込んでいる。視線を追ってみると、その先の雲が虹色に光っているのが見えた。所々、の一部分に過ぎない。
「レイラ、何か見つけたの?」
「いえ……唯…彩雲……何かが引っ掛かって……虹…虹色…、……?」
 首を傾げながら、虹、虹、と呟いていたレイラの唇が、少しずつ何かのメロディーを紡ぎ始めた。子供の頃に歌い慣れた童謡が、自然に零れて空気を震わせていく。
「………“虹…色水晶、積み上げて…其れに抱かれて”……あっ!」
「思い出した! 伝承の手毬歌よ、それ! 昔フィーリアも歌ってた…!」

 ――何だか悲しい歌だからあまり歌わない方が良いんじゃない?
 そう言って、一人でバルコニーにいたフィーリアに話しかけたのが随分遠い事の様な気がする。そうしたら、違うわ、これは約束と希望の歌よと、笑顔で返されて随分びっくりした事もまだ覚えている。
「“虹色水晶積み上げて 舞巫女様より…”……もう今の手がかりはこれしか無いわ!フィーリアはきっと何かを知ってたのよ!」
 興奮気味に捲くし立てて、クライツは行き成りハンドルを引いて急上昇を始めた。置いてきぼりを食らったレイラが、慌ててその後を追いかける。
「待っ…待って下さいクライツさん! 私には何が何だか……!」
「虹色水晶ってきっと彩雲の事なのよ! 手頃なのに突っ込むわ!」
「……えええっ!?」
 虹を帯びて輝いている雲の一つに今にも突っ込んで行きそうなクライツに、レイラは心の底から狼狽した。積乱雲の中がどれ程恐ろしい物なのかは、クライツもレイラも身を持って知っている。それなのに、この恐ろしく巨大な積乱雲に行き成り突っ込むだなんて冗談じゃない!
「クライツさん、お願いですから落ち着いて! この中がどうなってるかは分かってるでしょう? せめて雷避けの魔法を掛けますから! 頼むから落ち着いて下さい! 死ぬ前に帰って来いと言われたの忘れたんですか!?」
 必死でスピードを上げて目の前に回り込んできたレイラに、クライツも慌てて速度を緩める。ゴーグル越しにもレイラの目が怒っているのが分かった。……この空索店のメンバーは皆年下の方が強いのだろうか、という思いがちらりと胸を掠める。
「舞巫女様を探すために、突入するしか無いだろう事は前から予想してましたけど…場所のきちんとした見当も何も付けず行き成り飛び込もうとするなんて…! 女王様が心配な気持ちも分かりますけど…!」
「う…ごめん、確かにちょっと、暴走し過ぎた……でも、レイラ、信じて!今ならもう分かるのよ! 舞巫女様は、フィーリアの歌の通り、絶対にあの彩雲の向こうにいらっしゃるから!」
 必死に言い募ると、レイラの目が微かに伏せられるのが見えた。雷避けの呪文を紡いだ口が、魔法の余韻が消えると同時にもう一度開かれる。
「…こんな所で今更な事を言ってごめんなさい、クライツさん。……クライツさんは…いえ、お二人は…どうして…そこまで舞巫女様の存在と女王様を信じられるのです?」
「え……?」
「私には…女王様の依頼とは言え、古来の伝承の中の存在に過ぎない舞巫女様が本当に存在していらっしゃるのか、まだ完全には信じられないんです。探しても探すだけ無駄で絶対見つけられない、そんな予感が胸から消えない……きっといるはずだとは信じていますが…それでも…そこまで必死には、私には、なれない……」
 俯いて、目を合わさないままでレイラは言葉を紡いだ。少しの間、沈黙が流れる。予想していなかったらしい問いに、クライツはしばらくうろうろと視線を彷徨わせて困ったように唸っていたが、やがて、顔を上げて苦笑を零した。
「あー……うん、そうだね、普通の人はきっと皆そう思うと思う。でも……私とウィルは違う。フィーリアがいるって言うからには絶対にいるの。…あの子ね、」
 吹き抜けた強風に、ポニーテールが揺れる。もしウィルが先ほど通信を切らないで、そのままこれを聞いていたとしたら今頃全力で否定していたに違いない。でも、幾ら否定しようとウィルも私と同じくフィーリアを全力で信頼しているのは一緒なのは事実だ。
「あの子ね、私とウィルがほんの小さな子供の時に…お城で出会ってから今まで、本当に一回たりとも、嘘付いた事が無いの」
 だから、そう。
「心配なんていらないのよ」
 不敵に笑って見せたクライツに、レイラの目が瞬きを繰り返す。だが、やがて決意を固めたようにその目に光が灯った。
「…分かりました」
 杖を持つ右手が、声をウィルに届ける為にスイッチを操作する。それを見て、飛行体勢に移ったクライツを見つめながら、レイラもまたハンドルを引き始めた。
「ウィルさん、聞こえますか? ……今から、雲の峰の中に突入します!」

――――――― ◆ ―――――――

突入の知らせを受けて、ウィルは努めて平静に了解の返事を返した。そして直ぐにマイクのスイッチを切ると、久しぶりに目にする巨大すぎるモニターを改めて睨み上げる。もう二度と袖を通す事は無いだろうと思っていた研究院の制服を羽織り、横に並ぶ当時の後輩だった(もちろん今はウィルの上にいる)研究員達とは一見何も変わらない。
モニターの中央に映るのが自分達の住む街、ラ・ヴァヴィロン。西に当たる左の端には雲の峰が移されており、モニターにその先は映っていない。そして、東に当たる右の端には、今まで誰も目にした事の無いような巨大な雲が映っていた。
「……前代未聞だ……」
 呻き声を上げた気象学者の横で、ウィルは黙ってその雲を睨んでいた。
 王室研究院の頑丈なガラス窓に遮られているのに、強まってきた風の唸りがここまで聞こえてくる。おそらく街の人々はまたハリケーンか、とそれくらいの危機感にしか考えていないに違い無い。だが、…その“ハリケーン”がこの街から現在どれだけ離れている上でこの風をもたらしているのか、それを知ったら皆真っ青になるだろう。
気象学者でありながら化学歴史の研究にも携わっていたウィルは、古代の伝承も良く知っている。かつて、この街に三度目の箱舟伝説が訪れようとした事も、それが人柱の犠牲で回避された事も、そして――
「“千年と一夜が過ぎるまで”……」
 その言葉が意味しているのが、目前に迫っている嵐の事なのだと、それを悟る事が出来たのもウィルだけだった。

――――――― ◆ ―――――――

突入した瞬間は、まるで虹を潜り抜けた様だった。だが、その美しさを見る事が出来たのは一瞬だけ。目の前に広がる暗闇に、クライツの手がハンドルを握り締める。落雷を危惧して、剣は腰の鞘に収めていた。
「“迷い子を照らせ 灯火の道標”……“イルミネート( iluminate )”!」
 レイラの声が響き、二人の周りが明るくなる。それを確認すると同時に、レイラもまた杖をしまった。稲光が光る瞬間は、辺りが昼間のように明るくなる。だが、それが無い時は、雲が光を遮る為に何も見る事は出来ない。
 彩雲を抜けたら、可能な限り真っ直ぐ飛んでみよう、と二人は突入前に決めていた。最悪な視界の中で、クライツが必死で前を見据える。一度だけ振り返ってレイラと目配せをした後、二人は猛スピードで飛行を始めた。
 時々、身体を掠めて雷電が何処かへと落ちていく。降っては止みを繰り返す雲の中の豪雨にも何度か打たれて、体がどんどん冷たくなり始めた。さすがに疲弊して、クライツは少しだけ顔を下げ――
「……クライツさん! あそこ!」
 突然飛んだレイラの鋭い声に、慌てて視線を上げた。同時にその目を見開く。暗闇と雷の光しか見えない視界、その奥で一瞬煌(きら)めいた光は何だ。雷の光はもっと鋭い。明らかに違う、蒼い光がもう一度揺らめく。
「………舞巫女様…フィーリア……!」
 歯を食い縛り、ハンドルをさらに開く。さらに激しくなる雷を潜り抜け、加護魔法が無ければ吹き飛ばされてしまいそうなくらいのスピードでその光を目指した。心臓が早い鼓動を一つ打つ度に目の前の蒼い光が大きくなり、そして、
「――――っ……!」
 辿り着くと同時に、世界が反転した。

――――――― ◆ ―――――――

気が付くと、先程までの轟音が嘘の様に静かな世界が広がっていた。何処か寂しげな風の音と、鈴の音しか聞こえない。静寂に耳が戸惑っていると、不意に鈴の音の方が止まった。のろのろと、重い瞼を押し上げてみる。
まず目に入ったのは、光だった。上から、天使の梯子が差し込んでいる。どうやら此処は一つの部屋らしく、不思議な事に壁も床も雲で覆われていた。所々に虹色に煌めく水晶が生えている。
そこまで視界に映る世界を観察した所で、クライツは慌てて視線を左右に走らせた。だが、すぐに少し離れた所に倒れている桃色の三つ編みを見つけて安堵の息を付く。服はよれよれだが、見た感じには外傷は無い。レイラの立てている寝息が、ここからでも微かに聞く事が出来た。
「……目が覚めましたか」
 不意に静寂を破った聞き慣れない声に顔を上げると、少し離れた所に一人の少女が佇んでいた。年齢は、レイラと同じくらいだろうか。雲の様に純白の髪が足元まで流れている。そして、纏っている独特の衣装は全て空の色だった。冬の空から春の空の色へのグラデーションを描いたベールと絹布が風に舞い、夏の快晴と積乱雲を模した羽衣が目に鮮やかだ。
 …この人は、
「……ま…い巫女様……!」
 一瞬で頭の霞が吹き飛んだ。上げていた頭を慌てて下げた拍子に床に額をもろにぶつけ、漸く自分が寝そべったままだった事に気づく。内心でその失態に絶叫しながら、クライツは跳ね起きて改めて頭を下げた。
「そう…時が満ちたのですね……私は、外の空については把握出来ませんから…。この様な辺境まで良く来て下さいました。千年を経た使者に感謝します…お名前を伺っても?」
「……ク…クライツ=アトレージアです…。あっちで倒れてる子はレイラ=アイリス…ちょっと、レイラってば、良い加減起きなさいよ!」
「………、……ん…クライ…、……っ!?」
 クライツの大声に目を覚ましたレイラが、目の前の状況を把握するや飛び起きてクライツと同じ体制を取った。垂れた髪に遮られて良く見えないが、微かに見える目は見開かれて輝いている。
 ちりん、と鈴が鳴った。舞巫女が一歩クライツ達に近づいた音だ。
「…どうか顔を上げて下さい。私はこの空に住む全ての民の代表というだけに過ぎません。貴女方と同じ人間です」
 優しげな声に、二人はおずおずと顔を上げた。舞巫女は頷くと、鈴の音を紡ぎながらクライツ達へまた数歩近づいた。そして、手を伸ばせば届きそうな位置で足を止め、ベールをふわりと遊ばせて礼をする。
「…クライツ様、レイラ様…時はあまり残されていません。単刀直入にお伺いします。…私の友人から何かを預かってはいらっしゃいませんか?」
 言われるまで、頭からすっかり抜け落ちていた。慌ててクライツが胸に手を当てると、落ちない様に胸ポケットに入れていたフィーリアのペンダントが音を立てた。鎖を引いて取り出すと、光を浴びて微かに煌めく。
「舞巫女様、私達はフィーリア…女王陛下から、このペンダントをお届けする様にと仰せつかって参りました」
 舞巫女は微笑み、ペンダントに手を伸ばして、受け取る寸前で一度手を止めた。不思議に思って視線を上げたクライツは、正面から見つめたその空色の目に違和感を覚えて少しだけ眉を寄せた。
「……一つだけ、約束を…。全てが終わったら、すぐに此処から逃げなさい。上へ飛べばこの峰を突き抜けられます」
 何故、この人は、…こんなに悲しそうな顔をしているのだろう?
「――……駄目…。駄目、クライツさん、下がってッ!」
 レイラの絶叫が響いた瞬間、舞巫女の指がペンダントに触れた。
「ごめんなさい」
 目を見開いたクライツの視界の中で、蒼い光が爆発する。
 レイラの悲鳴が響く。とっさに顔を庇ったクライツは、それでも確かに見ていた。上から、雷の様な光が舞巫女に落ちたのを。何が起こったのかを理解する前に、視力を取り戻し始めた目が倒れ伏している舞巫女の異変に気が付いた。……白かった髪が、雷と朝焼けの色に染まっている。
「舞巫女様……?」
「クライツさん、近づいたら駄目です! 私には分かります、…この大きすぎる力…! 舞巫女様…憑依されて、……っ!」
 クライツに駆け寄ったレイラが息を呑む。ゆらりと、その髪を揺らして舞巫女が立ち上がった。緩慢に顔を上げ、凍りつく二人を見据える。その身から零れる雰囲気全てが舞巫女の物とは違っていた。
「貴方は……」
「……もはや、時は満ちた」
 クライツの言葉を遮って、その誰かの声が静かに響く。舞巫女とは似つかない男性の声。怯えたレイラが、クライツの腕にすがりついた。目を閉じ、どこかふらつきながら、その誰かは続ける。
「短いが長い年月だった…私の心はもう、歌に抱かれていても耐えられない…狂ってしまう…私が、狂えば、それこそ世界と…リガイアは……」
「誰…誰よ、貴方は、誰なの!?」
 既に悲鳴に近いクライツの声が飛ぶ。…さっきまで満ちていたはずの風の音が聞こえない。一呼吸の間の後、その誰かはゆっくりと口を開いた。
「……知らないままで、良い。…巫女の言葉を聞いただろう。今すぐに此処から立ち去れ。そして逃げ延びてみろ」
「なっ……」
「二度と会う事は無い。…白夜がそなた達に訪れる事をせめて願おう」
 何ですって、と突っ掛かる暇も与えて貰えなかった。言葉の端が轟音に呑み込まれる。二人を巻き込む形で暴風が渦を巻き、悲鳴を上げて抵抗する体を宙へと舞い上げていく。ペガサスの機体も同じように舞い上げられ、クライツは風の渦の中でそれを必死に掴んだ。
 上下も分からなくなりそうな中、必死で視線を巡らせる。一瞬、両手を上に差し伸べている舞巫女の姿をした誰かが見えた。だが、それもすぐに見えなくなってしまう。天使の梯子が近づき、再び意識が叩き落される寸前――先程耳が聞いた言葉を、別の声の誰かが繰り返した気がした。

――……ごめんなさい


――――――― ◆ ―――――――


「…ブルーラヌス様」
「………」
 しん、と静寂が戻ったその空間を、再び誰かの声が破った。その声の持ち主を知っているかの様に、舞巫女の姿をした人影がゆっくりと振り返る。声の主を認めるや、その顔に複雑な感情を宿した笑みが浮かんだ。
「…そなたは……もう、一千年ぶりになるか」
「ええ、…お久しぶりです、ブルーラヌス様。…私には本当に長い年月でした。ですが……私は戻って参りました。舞巫女様との約束を果たし、貴方を今度こそ苦悩から解放する為に」
 意識不明で入院した、とウィルが告げていたフィーリア女王その人がそこにいる。ふわり、とドレスを広げて一礼をした姿は何処にも支障がある様には見えない。しかし、舞巫女…いや、蒼神を見つめて微笑む女王の言葉がそれを否定する。
「…私の今の体はもうすぐ役目を終えて死ぬでしょう。私は、ペンダントを媒介にしてこうして心を飛ばしているに過ぎません。…ですが…役目を果たすには心だけで充分ですわ」
 ちくり、と胸に少しだけ痛みが走った。同時に浮かんだのは、何人かの大切な友人達の顔。内緒にしててごめんなさい、と声に出さずに呟いたフィーリアの微笑みに少し影が落ちた。同じ様に哀しみを帯びた蒼神の瞳が、静かにフィーリアの瞳を見つめる。
「……フィーリ…気休めに過ぎないと、千年前に私は告げたはずだ」
「ええ…私達の歌は千年間しか貴方を慰める事は出来ないと、舞巫女様は私に仰いました。ですが…その千年間…苦しみと喜びに満ちた輪廻を繰り返しながら、私はずっと探し続けました。私の友を解放し、全てを元に戻し、そして、私達の罪を…償う為の方法を」
 その言葉を皮切りにしたかの様に、ブルーラヌスの瞳から一滴の雨が零れ落ちた。繋がっていた視線が外れる。うなだれ、肩を震わせるブルーラヌスを見つめて、フィーリアもまた視線を下げ、呟いた。
「クライツ、ウィル、レイラ……。どうか元気で。そして、見届けてね」
 聞こえない事は解っている。きっと今頃途方に暮れながら、二人は暴風に流されてヴァヴィロンに向かっているだろう。…そしてそのヴァヴィロンも、ここで自分が行動しなければきっと今日中に無くなってしまう。豪雨と暴風に煽られ、街に響くだろう悲鳴が今にも耳に聞こえそうだ。
 覚悟を決め、フィーリアは一歩前に進み出た。
「…三度目の箱舟伝説は、決して生まれてはいけない」
 静かに呟くと、空そのものは黙ったまま首を横に振った。もう止める事は出来ないと、その暗い瞳が告げている。
「“かつての翠を蒼に奪われた世界 母なる大地は死に去り”……。私は…その言葉を償う為に今日まで生きて来ました。私の友人達の望みともして…。千年を生きたこの器なら…きっと受け止められるでしょう。…ブルーラヌス様、世界は、まだ貴方を待っています。どうかこの身に、」
 閉じた瞼の裏に浮かぶのは、繰り返し見つめた大好きな光景と、大切な笑顔。全てが護れるのなら構わない。
「リガイア様を生き返らせて下さい」


――――――― ◆ ―――――――


――かつて世界にあった大地を、この人の妻を、人間は…この人達に生み出してもらった私達は殺してしまった。私は……千年前のあの時、この人の涙を止める事は出来なかった…。だけど…今度こそ、私は自分の役目を果たしてみせましょう。それがせめてもの、私に出来る事。
――三人とも…ごめんなさい。私は貴方達に、いえ、全ての人に、一つだけ大きすぎる嘘を付いていました。だから、せめてそれ以外の嘘は付くまいと思っていたのですが……それは唯の言い訳ですね。
――私はフィーリ。伝承に伝えられる、王女を此処まで送り届けた者の一人。例外輪廻を繰り返す者。その中で、貴方達に逢えて良かった。
――…ありがとう。これからも、ずっと、大好きな……

『――…クライツ! やっと繋がった! …聞こえるか!?』
 不意に耳に飛びこんできたウィルの声に、クライツは目を見開いた。気を失っている間見ていた不思議な夢が、記憶の彼方に霞んで消える。蒼神様と女王様が会話していて、器がどうとか大地がどうとか言っていたような。…そもそも、あれから一体どうなったのだ?
 混乱した頭が、現状を把握しようと必死で動き始めた。隣では、まだ気を失ったままのレイラがペガサスに運ばれるようにして空を飛んでいる。少しの間を置いて、運転しているのではなく先程の暴風に今も運ばれているのだと漸く気が付いた。
「えーと……ウィル、此処、どの辺り……?」
『聞きたいのはこっちだ…!いきなり反応を見失ったから相当焦ったんだぞ! まあ、とりあえずはヴァヴィロンに向かって飛行して来てるから今の所問題は無いな。依頼は無事に終わったか?』
「依頼? ……ああ…。うん…多分ね」
 言葉を濁して、胸ポケットに触れてみる。そこにあったペンダントはもう無い。何がどうなったのか未だによく分からず、ぼんやりと前を見つめていると再びウィルの声が響いてきた。
『こっちも色々大変でな…未だにヴァヴィロンの街は大混乱してるよ。超巨大ハリケーンが突然現れたと思ったら突然掻き消えたり…レーダーや計測計が意味不明な数値を弾き出したり…まあ、磁気嵐か何かで一時的に全体がいかれてたんだろうと思……うわあっ!?』
 不意に、それが途切れる。どうしたのかと首を傾げると、レーダーがどうの、飛行手の後ろだの雲の峰だのと何人かが大騒ぎしている声が聞こえてきた。何で周りに人がいるのかと違和感が胸を掠めたが、その声に促されて何気なく後ろを振り返ってみる。
 また、一瞬で頭の霞が吹き飛んだ。
「レ…レイラ起きて起きて! 見て! 早く!」
 マイクに向けて絶叫すると、漸くレイラが反応した。のろのろと起き上がって、そして目の前の光景を見て、…固まる。
 西に聳える雲の峰が、雲の壁が、天辺から静かに崩れ始めた。空の蒼に溶け込むように、少しずつ見えなくなっていく。虹色の光が、雲と共に四方へ散って消える。まるで、開放されて空に帰っていく様に。
 麓の雲もゆっくりと崩れ出し、雲の崩壊が空全体に向けて広がり始めた。何千年も漂い続けた雲が、少しずつ、確実に風に散って消えていく。その光景を目で追っていたクライツは、ふと視線を動かすのを止めた。雲の海に空いた穴の遥(はる)か向こう、微かに光る何かが見える。あれは、 
「“大地を、呼び戻して”……フィーリア…夢じゃ、なかったのね……」
「…私も見ていました。女王様と蒼神様の夢……。でも…女王様は……」
 身を乗り出して雲下を見ながら、クライツは苦笑した。隣に浮かび、目を伏せて寂しそうに俯いているレイラの頭をぺしんと軽く叩く。そして、いつもの様に力強く笑って見せた。
「フィーリアはあそこよ。あそこにちゃんといるわ。…さーて、これから忙しくなるわよ! 帰ったら集められるだけデータ集めてまた前人未踏の場所に行くんだから! ウィル、聞こえた? 今度は貴方も行きましょう!」
『ええ!? だから俺は空がちゃんと飛べなっ……』
「フィーリアに逢いに行ってあげなきゃ可哀想でしょ!」
 ころころと笑って、フィーリアはハンドルを引いた。風の腕を振り払い、それ以上のスピードでペガサスはヴァヴィロンを目指して飛び始める。二台のペガサスが、世界の未来全てを違う物に変えた事を、本人達は全く気付いていなかった。

 空が大地へと帰っていく。消えてゆく雲の峰に紛れて、その全てを見つめる光が静かに浮かんでいた。千年前に一度別たれた四つの魂、その光は、やがて、一つに寄り添って雪の様に大地へと降りていった。
 
「ただいま。」


Fin



07年 文芸部誌「游」 文化祭特別号(副読本) 掲載





「峰」という部誌全体のテーマから、峰→雲の峰だろう!!という安易な思考で暴走していった一遍のファンタジー。Poemの方へ上げた「Cloud Castle」と合わせて、この物語はやっと完結します。

ちなみに、Celestialは「天の、空の、神聖な」globeは「世界、永遠の象徴」。
二つが合わさって「天球儀」になります。


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