しぃん、と静寂の降りた蒼い闇の中。昼までの賑わいが嘘のように静まり返った、小さな遊園地がぽつんと佇んでいる。時折、遊具が風に吹かれて軋んだ音を奏でる以外は、何の音もしない。
「やれやれ、今日も賑やかじゃったのう」
 ……本来、ならば。
「何を言い出すかと思えば…。貴方が、この遊園地にわざわざお客さんを沢山引き寄せて下さっている張本人でしょう?」
「うゅー…? がやがやわいわい、きらきらー?」
「…それとこれとは話が別じゃ。黙っておれ観覧車に風船風情が」
 静寂を破り、誰かの話し声が遊園地の中を流れている。
 風に吹かれ、微かに震えている観覧車の天辺。そこに、小さな人影が腰掛けていた。その横で、観覧車の支柱に引っ掛かった小さな赤い風船が頼りなげに揺れている。萎み始めている風船をその小さな手で撫でながら、人影はふっと笑みを零した。
「…まあ確かにな、五月蝿いのは頂けないが、昔の寂しさを思うと今の方
がずっと、我は幸せじゃよ?」
 この国の着物と、どこか西洋の民族衣装を合わせたような、不思議な出で立ち。その幼い見た目とは裏腹に、どこか大人びて笑うその瞳。
「私達だって、こんな風にお喋りに付き合わされるのはあれですが、お客さんが沢山来てくれるのは嬉しいですよ。かみさま」
 神様=B
「……で、どうするんです? ほら、あそこの回転木馬。今日からやっと動き出したらしいですけど。またお話ししに行かれるんでしょう?」
「観覧(みらん)に言われなくても行くに決まっておろうが」
 何を今更、とでも言いたげに鼻を鳴らし、人影――神様と呼ばれたその人は、ひらりと観覧車から飛び降りた。長い裾の衣が風に煽られて、ふわりと藍色の空に舞う。その一瞬だけを見たなら、まるで幻想御伽(ファンタジー)のような非現実的な光景。しかし神は、近くにある天幕(白昼なら、絵描かれた装飾で、只のポップコーンを売っている売店だと一目で分かっただろう)に一度着地すると、今度は、電気の供給を失って沈黙している遊具を風のようにひょいひょいと身軽に飛び移りながら、あっと言う間に走り去って行ってしまった。幻想的も何もあった物ではない。
 それを見送っていた観覧車が、ふと苦笑にも似た笑みを漏らした。
「寂しがり屋の神様。それでも私達にとっては唯一の神様」
「ん…しくしく、の? くるくる」
 歌うように紡がれた言葉に、風船が首を傾げるように揺れる。ゴンドラを風に軋ませて、観覧車も小さくその身体を回した。
「そうだね、風船(かざふね)。あの人はいつも泣いていた。君だって聞かせてもらったろ?あの神様の昔話」
「しくしく…わいわい、がやがや、どーん?」
「そうそう。…もう一回話してあげようか?君ももう長く…ないからね。
 昔々…って程じゃないな。八年前の事なんだけど…まあ、良いや。昔々ある所に、独りぼっちの、寂しがり屋さんの神様が住んでいました……」


*+◆+*


「おい、おい、其処のお前」
「………はい?」
 眠りに似た沈黙の闇の中に沈んでいた回転木馬は、いきなり耳に届いた偉そうな声に意識を浮かばせた。意識がはっきりしてくるのと同時に、自分の屋根をゲシゲシと誰かが蹴りつけている事にようやく気付く。何て失礼な、と辺りを見回してみたものの、声の主の姿は何処にも見えない。
「おお、やっと意識が付いたか。遅いぞ、お前」
 さらに響く声は、どうやら上の方から投げられているらしい。
 ようやく声の聞こえてきた方向が分かって、回転木馬は訝しむように自分の馬を少し震わせた。上? 何でそんな所から声がする。
「誰です?」
「……誰じゃと? そなたに自我を与えてやった相手にそんな物言いをするのか貴様。なんて無礼な生意気な嗚呼近頃の遊具は嘆かわしい」
 一応礼儀正しく聞いてみたつもりだったのだが、予想に反してかなり酷い答えが返ってきた。流石にむっとしたが、ここは耐えて言葉を続ける。
「……すいません。何方様でしょうか」
「全く最初からそう言えば良いものを…。…まあ良い。よし、名乗ってやろう。あー…、こほん。我は、この遊園地の神じゃ」
「……はい?」
「一度で理解せんか、阿呆。…神様じゃ、かみさま!」
 呆れた調子の声と共に、すとん、と目の前に何かが降りてきた。見慣れない出で立ちをした小学生ほどの子供だ。むぅ、と眉間にしわを寄せて腕組みをして、そこに立っている。
 一瞬は、閉園後の遊園地に紛れ込んだ、空想の好きな変わった迷子かとも思ったが、すぐに分かった。こんな不思議な雰囲気と目の色を持つ人間がこの世界にいるはずがない。…となると、本当なのだろうか。
「えー…と、……神様? どうしてこんな…遊園地なんかに…? 神様はこういう場所にもいらっしゃるものなのですか?」
 とりあえずは、この子のいう事を信じてみることにして、回転木馬は問いを向けた。神様、とは。少なくともこの国では、神社だとか山奥だとか祠とかそういう場所に在らせられるものだ。それが何故、この遊園地に?
「ここは元々我の守護していた場所じゃぞ? 我は他の神のように、土地が変わったからと言って職務放棄はせん。此処が我の居場所じゃからな」
 鼻を鳴らして、神が遊園地を顧みる。その銀色の瞳は冷たいようにも見えたが、回転木馬は、月の光に照らされた瞳の奥に、僅かに光る何か――それが慈しみというものなのだろう――を見た。少しの沈黙の後、
「……貴方は…」
「それじゃあさっそくじゃがお前は転馬(てんま)じゃ」
 有無を言わさず遮られ、告げられた言葉に、回転木馬が言葉を失う。
「………はい?」
「呼び名じゃよ呼び名。回転木馬なんていちいち呼ぶのが面倒じゃろう。めりーごーらうんどなんて横文字はさらに御免じゃ。長すぎる。良いか、神様の与えたもうた御名じゃぞ? 誇りに思えそして敬え」
 にぱ、と満面の笑みを浮かべる神に、回転木馬は流石に憤った。…よりによって転び馬とはあんまりだ。そのふつふつとした怒りに、流石に神も気付いたのか笑みを引っ込める。
「馬鹿者、漢字だけを見るで無い。てんま≠ヘ天馬≠カゃ。子供らを乗せて、純粋な心をあの蒼穹まで舞い上げる者に成れと」
 ふっ、と真面目な顔を微笑みに変えて神は続ける。
「歓迎するぞ、転馬。今宵はお前の生まれた日。我らの遊園地へようこそ」



*+◆+*



「……あの人が守護していたのは、広い広い草原だった。其処はずっとずっと人の手が入っていなくてね。在りのままの自然がそこにはあったんだ。風は綺麗で、空は純粋な蒼だった。動物は遊び草はそよいだ。人間の目から見たら素晴らしい所だったと思うよ。でもね、あの人は寂しかった」
「…ふわふわ……、しくしく?」
「そう、ずっと泣いてたらしい。普通の神様はそんな感情無い筈なんだけどねえ。草木や動物にとっては楽園だったかも知れないけど、あの人には話し相手が居なかったのさ。人知らぬ土地の守護神だったから祠もお参りに来る人も全く無くてね」
 気紛れな風に合わせてゴンドラを揺らしながら、観覧車は昔話を続ける。
「それが、八年前になって突然人がやってきた。吃驚しただろうね、こんな未開の地が残ってたんだから。寄ってたかって開発のプロジェクトを立ててたよ。もしかしたらここは高速道路になってたかもしれないし、ビル郡になってたかも知れないし、工場地になってたかも知れない。でも最終的には、この遊園地を建設する事に決まった」
「きらきら、わいわいー?」
「そうそう。慌しかったらしいよ。わーって人がやってきて一気に工事して作り上げて。あの人も、最初は嫌がって妨害したりもしたらしいんだけどね。長い時の間に人間は強くなりすぎて、あの人でも工事を中止には出来なかった。事故とか起こしまくれば良かったんだろうけど、あの人は何だかんだで優しいから。で、最終的にこの遊園地とあの神様だけが残った」
「…ぽつー、ん?」
「…アクセントのせいでかなり悲痛だね。ともかく、あの人は途方に暮れた。行く宛ても無い。だからって大人しく消滅するのも気に障る。それで、しょうがないから、ふらふらと遊園地を彷徨ってたんだ。そうしたら、その内にキラキラ光ってくるくる回ってる、ボクを見つけた。そして」
「その観覧車に触れて、心を吹き込んで話し相手にしたんじゃよ」
 突然割り込んできた声に、観覧車と風船が黙り込む。気まずい沈黙の後、
「…懐かしく美しい記憶ですね。後ろから気配殺して飛び乗らないで下さいません?」
「そっちこそ人のいない所で、よくもまあ昔の事をベラベラと。気付かぬ方が悪いのじゃろうが」
 べぇっと舌を出した神に、観覧車がため息をつくように軋んだ。
「…で? 覚えてました? 貴方の事」
 しん、と再び沈黙が降りた。静けさに包まれ、遊園地を本来ある筈の静寂の闇が支配する。さらりと衣擦れの音だけが響いた。随分長い空白が空いた後、ようやく神は口を開く。
「………案の定、綺麗なくらいサッパリと忘れておった。機械は薄情じゃ。…それなのにあの転馬め、名付けてやったら八年前とそっくりそのまま同じ反応を返しよった、酷いにも程が…、……恨む訳にもいかんがな」
「しょうがないですよ、故障だったんですから。あれは貴方でも防げなかった。元々別の遊園地から頂いた物でしたし…老朽化だったんです」
 分かっておるわ馬鹿者、と神は力なく呟いてため息を付いた。そしてまた口を閉ざし、夜空に掛かる月を見上げる。
「……八年前からの…友は、これで、お前一人になってしまったな…」
「ボクはまだまだ現役ですよ。少なくともあと十年は頑張りますから。人の技術も進歩してる。今に部品交換で充分済む様になりますよ。あいつみたいに総買い替えなんて事には絶対なりません。…ね?ですから」
「………ふわふわ、しくしくなの?…ふわふ、わー……」
 口ごもった風船の言葉を引き継いで、観覧車が一言、言葉を続ける。それを聴いていた神は、短く息を吐いた後、背中を観覧車の支柱へと預けた。そして、一晩中顔を上げる事なく、観覧車に寄り添っていた。

「…この遊園地は貴方が居る限り、永遠に貴方を独りには致しませんよ」

 ふわふわと舞う一人の神様と、産み出された心ある遊具たち。人知れぬまま紡がれたその神話は、今もまだ、紡がれ続けている。















文藝部誌 游 07年新入生紹介号
100号記念特別企画「みんなで書くとどうなるの?」掲載作品

お題
場面は遊園地
擬音語を喋る奴を一人出すこと
昔話もしくは神話
死にオチ夢オチ禁止

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